出羽庄内 酒井家供養塔は、和歌山県高野山奥の院32町石東にある。
史跡金剛峯寺境内(奥院地区)大名墓総合調査報告書によると、大型五輪塔1基、小型五輪塔3基がある。
鳥居上の扁額には、「成覺院」と刻されている。
中央の五輪塔地輪には、次のように刻されている。
羽刕庄内城守重従四位下酒井宮内大輔
源朝臣忠勝追善也施主孝子
成覺院殿前司農眞譽
(梵字)爲
道保達三大居士神儀
従五位下酒井攝津守忠當
干時正保丁亥年十月十七日
酒井忠勝(1594-1647)は、下総臼井藩主であった酒井家次の長男として生まれた。
父と共に大坂の陣で軍功をたて、元和4年父の跡を継ぎ越後高田藩主となった。
その後、信濃松代藩を経て、元和8年出羽庄内(鶴岡)藩13万8千石初代藩主となった。
正保4年10月17日に54歳で死去し、老中松平信綱の裁定で、嫡男の酒井忠当が家督を継いだ。
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