堂島薬師堂は、大阪市北区堂島1丁目にある。
現在の建物は、平成11年(1999)堂島アバンザ建設の時に127枚の三角形のミラーガラスを組み合わせて建立された。
現地の案内板には、次のように記されている。
堂島薬師堂 由来
西暦五九三年、推古朝のころの史料に「東は玉造に四天王寺をつくり、西の方洲の中に御堂を建立」の記録があるという。
また、延宝三年(一六七五年)に書かれた古文書「芦分船(あしわけぶね)」にも
「聖徳太子が四天王寺創建時に、建築用材の運搬船が暴風雨で難破、洲の中に流れつき、お堂を建てた」
との記述があり、これが薬師堂の起源と言われている。
海上を航行する船から、このお堂がよく見えたところから薬師堂のある島が「堂島」の地名になったとも言われている。
お堂内には、薬師如来像、地蔵菩薩像、弘法大師像など仏像四体と、ねはん図など軸二本がおまつりしてある。
薬師如来像は室町時代の作と鑑定されているが、その由来は定かではない。
また、弘法大師像は薬師如来像よりも歴史が古いと伝えられており、明治二六年(一八九三年)からの大阪太師詣りの行事では薬師堂を第一番の霊場として、一日数十万人の参詣客で賑わうほどであった。
堂島薬師堂は堂島の世相、経済と連動しながら栄枯盛衰を繰り返し、現在は月2回の法要と、節分の日に、厄払いと鬼追い行事を行っている。
平成十一年三月
堂島の地名の由来については、
(1)四天王寺を玉造の岸に創建したとき、風波によって御堂の用材がこの地に流れついたため、
(2)あらかじめ堂の用材を置いたところ、
(3)流水が南北に分かれて、その中にあるため胴島といい、転じて堂島となった、
(4)二つの川(革)にはさまれた地であるため、鼓の筒にたとえて筒島(どうじま)といい、それが転化したもの
といった説がある。(世界大百科事典 参照)
JR東西線北新地駅下車、徒歩3分。