江口の君堂 寂光寺は大阪市東淀川区南江口3丁目にある日蓮宗の寺院である。
宝林山普賢院と号し、本尊は十界大曼荼羅を祀っている。
江口は、桓武天皇の時代に開鑿された神崎川が、淀川と合流する地点にあり、山陽道と南海道が分かれる交通の要衝であった。
長岡京への遷都にあたり、難波の宮の遊女やくぐつを当地に移したという。
大江正房の「遊女記」には、「蓋し天下第一の楽地也」と記され、東三条院の住吉詣での際には、藤原道長が江口の名妓 小観音を寵愛した。(白洲正子「西行」)
寂光寺の寺伝によると、元久2年(1205)光相比丘尼の開創といわれる。
光相は妙之前といい俗に江口君と呼ばれた遊女で、もとは平資盛の女という。
仁安2年(1167)西行法師と歌問答した遊女妙が光相比丘尼で、問答後発心して庵を建立したのが当寺の始まりと言われる。
西行は天王寺詣での道で遊女に雨宿りを請い、断られて次の歌を詠んだ。
「世の中をいとふまでこそ難からめ 仮の宿りを惜しむ君かな」
遊女妙はすかさずに 次の歌を返した。
「家を出づる人とし聞けば仮の宿に 心留むなと思ふばかりぞ」
この見事な歌の応酬は、山家集、西行物語、撰集抄で描かれ、贈答歌は新古今和歌集に収められている。
また謡曲「江口」では、江口の君の霊が現われ、世の無常と執着の罪を説き、静かに舞ったのち、
遊女は白象に乗った普賢菩薩に変じて西の空へ消えていく形で描かれている。
境内には、贈答歌を刻んだ石碑や君塚、西行塚などがある。
阪急京都線上新庄駅からバスで江口君堂前下車、徒歩5分。