永源寺

瑞石山(ずいせきざん) 永源寺は、滋賀県東近江市永源寺高野町にある臨済宗永源寺派大本山である。
康安元年(1361)近江国の守護佐々木(六角)氏頼(うじより)が、当地に伽藍を建て、寂室元光(じゃくしつげんこう)を招じて開山としたのが始まりで、氏頼の法名 崇永(そうえい)と近江源氏佐々木氏の源をとって永源寺と号した。
寂室元光禅師(1290-1367)(正燈国師)の名声が高く、全国から集まった雲水は二千人を超えたといわれ、室町幕府三代将軍 足利義満も当寺を祈願寺としている。
戦国時代に度重なる兵火で衰微したが、江戸時代に入り東福門院(徳川和子(かずこ))が願主となって、寛永20年(1643)一糸文守(いっしぶんしゅ)禅師(仏頂国師)が36歳の若さで入山し、中興開山となった。
その後、失火で伽藍を焼失したが、彦根藩井伊家が復興に尽力した。現存する建物の多くはこの時に再建されたものである。
明治以来、臨済宗の独立の一派である永源寺派の本山となり、百数十の末寺を統轄している。
境内には総門、山門、法堂(はっとう)、本堂、開山堂、禅堂、庫裡、鐘楼などがある。
寺宝として、塑像の寂室禅師坐像、禅師遺誡(いかい)などがあり、国の重要文化財に指定されている。
関西の紅葉の名所として知られている。

総門の西側には、彦根藩4代藩主井伊直興(法名 長壽院殿正四位上前羽林中郎将覺翁知性大居士)の墓所がある。
井伊直興(1656-1717)は、中興の名君といわれ、欅御殿(後の楽々園玄宮園)を造営し、松原港、長曽根港の改修を進めた。元禄10年には幕府の大老となっている。
→ 高野山奥の院 近江彦根藩井伊家供養塔
また松尾芭蕉の門人で「蕉門十哲」の一人 彦根藩士 五老井許六(ごろうせいきょりく)(本名 森川百仲)の流れをくむ 五老井八世 梥雄(しょうゆう)(本名 坪田庄市)の句碑「白雲に 迄も染入る 紅葉かな」が建てられている。
→ 高野山 奥の院 大教正五老井句碑

近江鉄道八日市駅からバスで「永源寺前」下車すぐ。



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