圓徳院は、京都市東山区にある寺院である。
豊臣秀吉の没後、その夫人北政所(ねね)は、高台寺建立を発願し、慶長10年(1605年)秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿と前庭をこの地に移築して移り住んだ。
北政所は、77歳で没するまでの19年間、この地で余生を送り、その間北政所を慕い、大名、禅僧、茶人、歌人、画家、陶芸家等が訪れ、この地は北政所の終焉の地となった。
圓徳院は、北政所の没後9年目(寛永9年)、甥の木下利房(足守藩主)が、高台寺の三江和尚を開基に、木下家の菩提寺として開いた寺である。
方丈は、創建時のもので、内部の桐紋襖には、長谷川等伯の32面の水墨画が描かれ、国の重要文化財に指定されている。
化粧御殿跡前庭は伏見城から移した庭石や枯滝の石組が配された豪華なもので、桃山時代の枯山水庭園の様式を今に伝え、国の名勝に指定されている。
また、境内に奉祀されている三面大国天像は豊臣秀吉が念持仏としていたといわれる出世守本尊で、今日でも多くの信仰を集めている。
京都市内主要ターミナルから、京都市バスで東山安井停下車、徒歩5分。