普賢院 四脚門

普賢院は、和歌山県高野山の千手院谷にある真言宗の別格本山である。
康治2年(1143年)の創建で、開基は覚鑁上人の門下でその葬送に役僧を勤めた力乗上人と伝えられる。
大治年間(1126年)覚法法親王の御持仏であった普賢菩薩を納められたのが寺名となった。
本尊は普賢菩薩で、空海の十大弟子の一人の道雄(どうゆう)が彫り、空海が点眼(開眼供養)したと伝えられている。
境内の建物は、大火による焼失と再建を繰り返しており、現在の本堂は、高野山東照宮の拝殿から移築された。
1996年にはネパールから仏舎利が請来された。住職がネパールへ行き、帰りは飛行機を使わず、仏舎利を携えたまま、インドから日本へと仏教が伝わったであろう道を通って25日間かけて帰国したという。
その仏舎利は、地下の光明心殿におさめられ、同時に地上には、魔尼殿が建てられている。
高野山に松尾芭蕉が訪れたという記録があり、その縁から芭蕉堂に芭蕉像と俳人の位牌が祀られている。→ 森白象句碑(普賢院) 森白象句碑(普賢院芭蕉堂前)

四脚門は、寛永8年(1631年)、現金剛峯寺裏山に造営された行人方の東照宮の一部であった四脚門を、明治25年(1892年)現在の位置に移築したものである。
東照宮遺構のなかでも、比較的元型を損なわず保っている。
国の重要文化財に指定されており、平成8年(1996年)には全面的な解体修理が施された。



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