普賢寺 

延命山普賢寺は、和歌山県橋本市菖蒲谷にある真言宗の寺院で、隣接する熊野権現社と大夫宮(たゆうのみや)の別当寺と伝えられている。
寺伝によると、天平9年(737年)春、行基菩薩が当地方へ巡錫の際に、この地を浄所と定めて、自ら資材を運び、仏像を彫刻した。
福徳を授かるよう、断食の誓願、修行の祈請21か日の後、本尊を安置したといわれている。かつては延命寺と称し(「紀伊続風土記」)、のち観音寺となり、さらに普賢寺と変わっていった。

本尊普賢延命菩薩は4頭の白象に乗った二十臂像として表現されており、行基作と伝えられている。
本来普賢菩薩は、あまねく一切処(いっさいしょ)に現れて賢者の功徳を示す菩薩とされ、6牙(が)の白象に乗った姿で表される。
文殊菩薩とともに釈迦如来の脇侍(わきじ)となるが、単独で信仰される場合も多い。
また、普賢菩薩は延命の徳があるとされ、密教では延命法の本尊として普賢延命菩薩が信仰された。
本尊は、檜材による寄木造り、漆箔(しっぱく)仕上げで、等身大(像高94cm)の像である。
藤原仏(平安時代後期)の典型的な作品であるが、普賢延命菩薩像の現存するものとしては、奈良・法隆寺の像に次いで日本では二番目に古い貴重なもので、平成84月に和歌山県文化財に指定されている。
なお、平成10年〜11年度に保存修理が行われ、漆箔で仕上げられたかつての姿がよみがえっており、毎年415日の春の大祭に開帳される。
境内には、應永二年(1395)乙亥の銘のある小宝篋印塔がある。
本堂の西側には、熊野神社がある。祭神は、伊邪那岐命と伊邪那美命である。当社は、聖武天皇天平九年の創祀と伝えられ、一村の産土神として現在に至る。明治64月に村社となった。
境内には、当地子供会の一行が大阪港で遭難した「やそしま丸」乗船者19名の慰霊碑が建てられている。

南海電鉄高野線御幸辻駅下車、徒歩18分。参拝者用の駐車場がある。



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