御所の辻 地蔵尊

御所の辻 道標と伊勢講の灯篭

御所の辻 地蔵尊、御所の辻 道標と伊勢講の灯篭は、大阪府河内長野市岩瀬にある。
現地の説明板には、次のように記されている。

   御所の辻 地蔵尊
天見川に架かる高橋を渡ると岩瀬に入り、最初の辻が「御所の辻」と呼ばれています。
この辻で火事があり、付近は焼け野原となりましたが、この地藏だけは焼けなかったとも言われています。
地藏の台石には「地蔵尊を信仰する者は火水の災難を免れ五穀成熟」の意味の銘が刻まれています。
この地蔵堂には、高さ約190cmの石造の地蔵がまつられています。
●1148年(久安4年)には、覚法法親王が高野参詣のとき岩瀬(石瀬)で休憩しました。
 正平年間(1346~1370)には観心寺によって岩瀬の関(関銭の徴収所)が置かれたこともあります。
●1354年(正平9年)に後村上天皇が天野山金剛寺へ行宮を移すとき、大和(現在の奈良県の賀名生から五条、橋本、紀見峠)を経てこの辻で一夜を明かしたと言われています。
 村人たちは光栄と喜びここを「御所の辻」と呼ぶようになったと伝わります。
●1860年(元治2年)の線香立てがあり、全面に菊と桐の紋、「御宝前」の文字が刻まれています。
 これには伝説があり、「昔、ある皇族の姫が高野参詣のとき、ここで休憩をとっていたが、突然行方が分からなくなった。付近を探したが見つからず、村人は姫の菩提を弔う為に、お堂を建て地蔵尊を祀った。
 こうした由来の線香立てに、菊と桐の紋を用いることが許された」と言われています。
   2023年4月(掲示)
  上岩瀬地区(案内)


   御所の辻 道標と伊勢講の灯篭

御所の辻と呼ばれる高野街道には「右かうや 左ハかうんこうセミち」と方向を指し示した道標がある。
この道標の「かうや」は高野山。「かうんこうセ」は金剛山の古名です。
今も昔も道は変わらず、方向を指し示し、高野山と金剛山への分かれ道となっています。
道標のうしろにある灯篭は、高野街道を利用し伊勢詣りをする人のために伊勢講が建てたもので、そこに刻まれた「大神宮」は伊勢大明神のことです。
地蔵堂の横の道標には、「(カ)右かうやくまのミち 元文六辛酉年三月廿四日立之」とあります。
   2023年4月(掲示)
  上岩瀬地区(案内)




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