玉鳳院

玉鳳院は、京都市右京区にある妙心寺の塔頭である。
建武4年(1337)、当地にあった花園法皇の離宮を禅寺に改めたのが妙心寺の起こりで、玉鳳院は法皇が伽藍の傍らに建てた山内最古の塔頭寺院である。
法皇と妙心寺の開山 無相大師(関山慧玄(かんざんえげん))が問答を行い禅の教えを深めたといわれる。

開山堂「微笑庵(みしょうあん)」(重文)は、天文6年(1538)東福寺から移築されたもので、関山慧玄を祀る妙心寺山内最古の建造物である。
軒下の重厚な組物も見事な室町時代中期の唐様建築で、堂内には常夜灯と常香盤(じょうこうばん)がある。
微笑庵の前庭には、珍しい形の妙心寺型石灯籠と蘇鉄の木があり、その先に開山堂唐門(重文)がある。

檜皮葺屋根の方丈は、明暦2年(1656)に仙宮(せんきゅう)(上皇の御所)を模して建てられた。
内部は狩野永真(えいしん)(安信)筆と伝わる「麒麟図」「竜図」「山水図」、伝狩野洞雲(とううん)筆の「秋草図」などの襖絵がある。
方丈の奥には花園法皇の木像が安置される昭堂(しょうどう)があり、上間一の間は「拈華室(ねんげしつ)」とも称され花園法皇の玉座がある。

蓬莱式の枯山水庭園(史跡名勝)は、渡り廊下を挟んで大きく南北に分かれ、北側には枯滝や石組、南側には一面の白砂に松や敷石が配された庭が広がる。
無相大師(関山慧玄)がその傍らに立ったまま亡くなったと伝えられる「風水泉(ふうすいせん)」と呼ばれる井戸や蓮の葉の台石に乗る棗型(なつめがた)手水鉢がある。

境内には、夭折した豊臣秀吉の長男 鶴松(棄丸)の像を祀る霊屋(たまや)「祥雲院殿」が建てられている。
開山堂裏には、武田信玄、勝頼の石塔、織田信長、信忠の石塔が建立されている。

JR嵯峨野線花園駅下車、徒歩5分。

拈華微笑(ねんげみしょう)と妙心寺について(花園大学教授 竹貫元勝氏「花園仙院御願の蘭若 妙心寺」)
禅宗は釈尊と摩訶迦葉(まかかしょう)の間における「拈華微笑」と「以心伝心」のはなしにはじまる。
釈尊が霊鷲山で説法する。そのときに梵天が金波羅華(こんぱらげ)を献じた。それを手にした釈尊は、かかげて大衆に示す。つまり拈華したのである。
説法を聞きに集まった多くの人のなかで、釈尊が拈華したその真意を悟ったのは、ただ一人であった。その人が摩訶迦葉であったのである。
摩訶迦葉は、拈華した釈尊に破顔微笑する。これを「拈華微笑」という。これで釈尊の仏の心、悟りの境地が摩訶迦葉の心に伝わった。つまり「以心伝心」したのである。

釈尊の拈華に微笑した摩訶迦葉に対して、釈尊は、「われに正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)、涅槃妙心、実相無相、微笑の法門あり、いま摩訶迦葉に付属す」と語る。
その「正法眼蔵」に因んで、正法山の山号とし、「涅槃妙心」によって寺号の妙心寺とする。
また、金波羅華の花を献じた梵天を花園天皇に、花園離宮は金波羅華の一枝に、摩訶迦葉は関山慧玄に、釈尊は宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)になぞらえている。(後略)



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