牛馬童子像(箸折峠)

牛馬童子像(箸折峠)は、和歌山県田辺市にある史跡である。
永観2年(984年)、17歳で即位した花山天皇は、藤原氏の策略でわずか2年で退位し、元慶寺で出家して花山法皇となった。
失意の法皇は、比叡山、熊野参詣と旅に出て、那智の山中では千日籠りをした。
伝説では、花山法皇がこの地で休憩した際、弁当に箸が入っていなかったため、従者が機転を利かせて付近の萱の茎を折って箸として渡したことから、箸折峠と言われるようになった。その茎から露がしたたり落ち、その芯が赤く染まっていたので、側近に「これは血か露か」と物哀しげに尋ねたため、峠の麓が「近露」と呼ばれるようになったと言われている。
明治時代に造られた高さ56cmの牛馬童子像は、牛と馬にまたがる僧服の姿で、花山法皇の旅姿を模したものといわれている。
牛馬童子像と並ぶ道者像は「役行者」といわれ、その後方に地蔵と不動明王の像が建っている。
また、花山法皇が熊野御幸の際に経典と法衣を埋めたという宝篋印塔がある。
JR紀勢本線紀伊田辺駅からバスで「牛馬童子口」下車、徒歩1分。乗用車の場合は道の駅「熊野古道中辺路」に駐車できる。(Y.N)




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