花園天皇十樂院上陵(じゅうらくいんのうえのみささぎ)は、京都市東山区粟田口三条坊町にある。
青蓮院の南にある。
花園天皇(1297-1348)は、鎌倉時代末期の第95代天皇である。伏見天皇の第三皇子で、母は藤原季子。
兄の後伏見天皇の猶子(ゆうし)となり、正安3年(1301年)皇太子、延慶元年(1308年)8月践祚、同11月に即位した。
在位11年目の文保2年(1318年)に後醍醐天皇に譲り、建武2年(1335年)出家し法名を遍行とした。
幼少から学問を好み、また「風雅和歌集」を自撰している。仏教に通暁し、禅宗の宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)を師とした。
延元2年(1337年)に萩原殿を寄進し、関山慧玄(かんざんえげん)を開山として妙心寺を開建した。
花園院の陵墓と伝えられるのは、ほかに妙心寺玉凰院(右京区)、梅津東萩原の王墓、花頂山将軍塚などにも所伝があり、
「京羽二重織留」元禄二年刊)には、「花園の院、後世変化をおぼしめして、七所に陵を築給ふ」と記されている。
京都市営地下鉄東西線東山駅下車、徒歩10分。