飯道寺

金奇山 飯道寺は、滋賀県甲賀市水口町三大寺にある天台宗の寺院である。
奈良時代の和銅年間、南近江の霊峰飯道山上に飯道寺が開かれると、続いて山腹に道徳寺が、さらに山麓には薬王寺が建立されて、三大巨刹の地として、一帯は池原郷三大寺と呼ばれるようになった。
これら巨刹の末寺、僧房が建設された中で、不動明王を本尊とする不動堂が建立されたのが当寺の創始である。
鎌倉時代には、当寺に隣接する山王権現三大神社(現 日吉神社)の別当寺となり、普賢院宝持坊と称された。
江戸時代には延暦寺の末寺となり、寺号も惣寺坊本覚院と改め、山上の飯道寺の里坊として推移してきた。

明治維新の神仏分離によって、山上の飯道寺が廃寺となり、霊場、修験道場としての名声を惜しむ人が多くいたため、
明治25年(1892)に、本覚院は、廃寺 飯道寺の寺号を復興して金奇山 飯道寺と改称し、法燈を継ぐ「笈渡し(おいわたし)」の儀をはじめとした伝統を継承することとなった。

寺宝として、下記の三体の仏像(国重文)とともに、絹本著色両界曼荼羅図被二幅(室町時代 甲賀市指定文化財)、大般谷経六百巻(江戸時代)を有しており、昭和40年に整備された文化財収蔵庫に納められている。
〇木造阿弥陀如来坐像(平安時代)
檜材寄木造、像高86cm、彫眼彩色の坐像で、二重円光を背に宝蓮華上に定印を組み結跏趺坐している。
もとは村内にあった常福寺から遷された仏像で、阿弥陀八幡大菩薩として本堂厨子内に安置されていた。
衣紋の流暢、豊満な肉付き、穏やかな面貌から、平安時代末期の藤原期の像といわれている。
〇木造十一面観音立像(平安時代)
檜材一木割矧造、像高98cm、彫眼の立像である。頭上に十一面をいただき、腰を左にひねり、右足をわずかに前に出して、やや動きが認められる。
丸顔で穏やかな表情は気品にあふれ、ゆったりとした動きを見せる衣も流麗で、平安末期の優れた仏師の作品と考えられている。
〇木造地蔵菩薩立像(鎌倉時代)
檜材寄木造、像高97cm、彫眼の立像で、右手に錫杖、左手には宝珠を捧げている。
面貌穏やかで全体として温和な印象を与える作品で、相好や衣紋の表現から鎌倉時代の造像と考えられている。

JR草津線貴生川駅下車、徒歩30分。文化財収蔵庫裏手に参拝者用駐車場がある。



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