畠山比左媼之碑

畠山比左媼之碑は、大阪府河内長野市にある。
当地の案内板には、次のように記されている。(原文縦書き 一部追記)

高野街道 三日市
三日市地区裁縫師匠 畠山比左媼(はたけやまひさおうな)の記念碑
(文面)
畠山媼名比左 三日市上田里人 夙寡独居自保以教裁縫 為事性
温柔指導懇至且時諭婦行 遠近父兄為可 以託児女 故来学者頗多
執業殆四十年明治二十六年十一月二十一日 病没歳六十四近歳
女功盛行人慕媼 乃造此碑来功乞余銘 銘日
   追思愈功  敬仰益篤
   其工与言  美実帰徳
明治巳酉十一月 浪華 藤澤南岳撰
           従五位 大邨屯題額並書

[碑文解説]
 畠山媼の名はひさ 三日市村の上田の里人 独居生活で、近くの子女を集め裁縫を教えていた。
性格は温柔で指導は懇切、女性としての教養及び帰徳を養い、遠近から学ぶ者多く、集い教育を受けた。
 裁縫を教える事 約四十年、明治二十六年十一月二十一日病死。年齢六十四歳。
教えを受けた子女がその功績を慕って集まり、追思し、徳を慕い偲び、書にしたためる。

撰文は、当代第一の碩学であった大阪の教育者で漢学者の藤澤南岳(ふじさわなんがく)に依頼している。
石碑(高さ2.2m)は、明治42年(1909)に建立されたもので、のちにこの地に上田裁縫学校が営まれたといわれている。



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