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間長涯天文観測の地は、大阪市西区新町にある。
当地の案内板には、次のように記されている。
間長涯天文観測の地
間長涯(はざまちょうがい)(1756~1816)は、富田屋橋北詰で、十一屋(じゅういちや)という質屋を営む家に生まれ、本名 間重富(はざましげとみ)といい幼い頃から富田屋橋の上で星を眺めていた。
寛政7年(1795)幕府の改暦にあたり高橋至時(よしとき)とともに出府し江戸浅草天文台で中国の「歴象考成(れきしょうこうせい)」を基に3年で「寛政暦」を完成させた。
その功により、幕府直参に取立てられる話があったが辞退し帰阪。その後、富田屋橋に英国製の観測機器を据え好きな天文観測に没頭した。
この時橋は通行止めとなるのですが、堀江の住民で文句をいう者は1人もいなかった。碑は昭和35年大阪市によって長堀川のほとりに建てられたが、長堀川の埋め立てによりこの地に移された。
石碑には、次のように刻されている。
(北面)間長涯天文観測の地
(東面)市制施行七十周年記念
昭和三十五年三月 大阪市 建立
(南面)長涯は宝暦六年(一七五六)西長堀北通二丁目に生まれた町人天文学者で
富田屋橋は彼が天文観測を行ったところである

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