平山居士句碑は、和歌山県高野山奥の院19町石東にある。
高野山の句碑歌碑巡りの資料には、「多々良平山居士句碑(たたらへいざんこじくひ)」と書かれている。
高野山のしおり及び高野山名所図会には、「東備の人名は穆姓は多々羅 碑面に句あり」と記されている。
石碑西面には、次のように刻されている。(山内潤三氏「高野山詩歌句碑攷」参照)
鼎左書
明ぼのや暫(しばらく)
なから雪の峰
平山居士
石碑東面には、作者の多々良清幽について次のように記されている。
多々良清幽居士諱穆東備人受業
世南始號薇城又更瓶山後改平山
風流奇韻名聲藉甚妙操國字文及
俳諧惜哉以天保癸卯秋八月初五
客死干東武時年四十四其後相謀
葬干谷中霊梅院遺言送骨於吾山
鼎峰茶煙杉露三子収骨建碑修其
冥福以余與居士有故録其梗概於
碑陰 杜多草帝閑那 識
碑文字を書いた鼎左は、鼎峰のことで、東面には鼎峰と記されている。
東面の最期に刻されている杜多草帝閑那は、幕末紀州の俳人で、那賀町史「幕末維新期の豪農文化人」によると、「古宅家第5代当主 古宅健次郎(1804/1803-1887)」ではないかと記されている。
古宅閑那は、那賀郡麻生津村出身で、僧籍にあったと見られ、高野山龍生院草帝閑那とあるが、
「田辺俳句史」(雑賀貞次郎著・大正14年発行)にもその名が記されており、それには、高野山龍光院法印閑那と記されている。
(柏木史和氏「和歌山県の俳句俳諧史」参照)
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