東大谷日女命神社(ひがし(やまと)おおたにひめみことじんじゃ)は、奈良県橿原市畝傍町にある。
畝傍山東麓に鎮座する。祭神は姫蹈鞴五十鈴姫(ひめたたらいすずひめ)命である。
当社の創建は不明であるが徳川時代においては、氏神 熊野神社として明治11年頃まで熊野権現を祀っていた。
その頃の祭神は伊弉諾尊である。
延喜式神名帳の東大谷日女命神社は、「大和志」以来、現在の桜井市山田にある東大谷日女命神社とされている。
しかし、大谷という地名が畝傍山西方にあることから、同社を畝傍地方に求める説が起こり、
明治20年頃から 熊野権現の社名を「式内社 東大谷日女命神社」に、祭神を神功皇后に変更し、
明治35年(1902)頃には、社名を「東大谷日女命神社」に、祭神を姫蹈鞴五十鈴姫命に変更した。
義民顕彰碑
明和5年(1768)の大凶作の際、大谷村の庄屋半兵衛、畝傍村の惣治郎を首謀者とする強訴があり、池尻の陣屋に押し寄せた農民たちは、役人から年貢不納の文書(免許状)を勝ち取った。
やがて江戸から送り込まれた役人たちから厳しい取り調べが行われ、首謀者であった畝傍村の惣治郎は死刑、強訴した村方に対しては、村高百石につき四石の科料(罰金)が命じられた。
村人たちは惣治郎の功績を称えて、東大谷日女命神社の拝殿前に顕彰碑を建立したという。
現在の鳥居横の義民顕彰碑は、明治43年(1910)に建立されたものである。
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