彦根城は、滋賀県彦根市金亀(こんき)町にある。
関ヶ原の戦いのあと、慶長6年(1601)に、徳川四天王の一人、井伊直政は、上州箕輪城から石田三成の居城であった佐和山城を与えられた。
佐和山城は急峻な山城で、鉄砲戦などに不向きな城であったことから、直政は城の移築を計画したが、関ヶ原の戦いで受けた鉄砲傷がもとで翌年死去した。
井伊直政の子、井伊直継(なおつぐ)(後に直勝に改名)は、家老木俣守勝を通じて、幕府に移築計画を上申し、現在の金亀山(彦根山)に城を移すことになった。
慶長8年(1603)に着工し、3年かかって第一期工事が完成した。
元和元年(1615)直継に替わって井伊直孝(なおたか)が城主となり、元和8年(1622)まで第二期工事が行われた。
井伊家は、大政奉還まで一度の移封もなく、譜代大名筆頭として時に大老職を務め、幕府の重責を担った。
城内には、井伊直弼大老の像が建てられている。
井伊家は直孝のとき、大坂の陣の功で5万石加増され、さらに寛永10年(1633)に10万石加増され30万石となった。
さらに幕府城付米(ばくふしろつきまい)5万石を加えると、彦根藩は35万石となり、譜代大名として破格の待遇を受けた。
彦根城は、琵琶湖を西に控える平山城で、彦根山の頂上を本丸として、西に西の丸、東に鐘の丸があり、東の麓に表御殿(現在の彦根城博物館)があった。
現在、主な建造物としては、彦根城天守・附櫓及び多聞櫓(国宝)、太鼓門及び続櫓(重要文化財)、天秤櫓(重文)、西の丸三重櫓及び続櫓(重文)、
二の丸佐和口多聞櫓(重文)、馬屋(重文)が残っており、国名勝の玄宮楽々園(げんきゅうらくらくえん)を含めて、彦根城跡が特別史跡に指定されている。
JR東海道線彦根駅下車徒歩10分。周辺に来訪者用の有料駐車場がある。