松平忠明供養塔
姫路松平家供養塔(松平忠明供養塔)は、和歌山県高野山奥の院22町石北にある。
史跡金剛峯寺境内(奥院地区)大名墓総合調査報告書によると、大型五輪塔3基、小型五輪塔5基、小型五輪塔1基などが建てられている。
一部破損した石鳥居の先にある、ひときわ大きな五輪塔は、播磨姫路藩 松平家初代 松平忠明(ただあきら)(1583-1644)の供養塔である。
徳川家重臣の奥平信昌の4男として生まれた。母は徳川家康の長女亀姫である。
天正16年(1588)徳川家康の養子となり、松平姓を許された。
慶長7年(1602)三河作手(つくで)城主、慶長15年(1610)伊勢亀山城主となり、大阪冬の陣、夏の陣で戦功を挙げ、摂津大坂10万石の城主となって、大阪の復興にあたった。
大阪では、運河開削が再開され、この運河を道頓堀と名付けたのが松平忠明だと言われている。
のち、大和郡山藩を経て、寛永16年(1639)播磨姫路藩主(18万石)となった。
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