瑞華山 薬師院 法傳寺

瑞華山 薬師院 法傳寺(ほうでんじ)は、京都市にある浄土宗の寺院である。
開基は神亀3年(726)、開祖は行基で聖武天皇が諸病平癒の為の勅願所として、薬師像を安置し「法田寺」と号した。
真言宗の時代があったが、知恩院第11世円智が当寺にて念仏弘通に努めたことにより「法傳(伝)寺」に改めたという。
また、木魚念佛最初の寺として知られている。
木魚による念佛の歴史は、江戸中期の捨世僧不退円説が最初である。寛延2年法傳寺の住職となり、念佛弘通に尽力した。
日課称名六万通の修行を十余年休まず行い、日課念佛を授けた者は一万五千人に及ぶ。
慶応4年(1868)1月3日鳥羽伏見の戦いにおいて、旧幕府軍は多数の死傷者を出して敗走し、下鳥羽の民衆が負傷者の手当てや死者への弔いを行ったと伝えられている。
法傳寺境内も避難所として死傷者の受け入れを行い、野戦病院のようであったと言い伝えられている。
山門北西には、明治30年(1897)の東軍慰霊祭の際に建立された「戊辰東軍戦死之碑」がある。



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