兵庫城跡 最初の兵庫県庁の地 は、神戸市兵庫区切戸町、中之島にある。
新川運河沿いにプロムナードが造られており、「兵庫城跡 最初の兵庫県庁の地」と刻した石碑と、「兵庫城跡と最初の兵庫県庁」と記した説明版がある。
天正8年(1580)池田信輝と輝政父子は、花熊(花隈)城を攻め落とした功績で、織田信長から兵庫の地を与えられた。
天正9年(1581)から、この地を治めるため花熊城の遺材も用いて、池田父子が兵庫城を築いた。
その地点は、現在の切戸町、中之島中央市場にかけて、東西、南北とも約140mの地域で、周囲には幅3.6mの堀がめぐらされた。
江戸時代に入り元和3年(1617)尼崎藩領となり、当地には藩の陣屋がおかれた。
明和6年(1769)幕府領となってからは大坂町奉行所に所属して、与力や同心の勤番所となった。
慶応4年(1868)1月に新政府はこの城跡の一部に兵庫鎮台を設けたが、翌2月には兵庫裁判所と名前を変え、さらに5月には最初の兵庫県庁が当地に置かれ、初代県令に伊藤博文が着任した。
その後、県庁は同年9月に、現在の神戸地方裁判所の場所に新築移転し、明治6年(1873)現在地に移った。
明治7年(1874)新川運河の開削が行われ、兵庫城跡の中心地は運河となっている。
令和3年(2021)には、中之島に兵庫県立兵庫津ミュージアム 初代県庁館が築かれた。
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