一乗寺下り松は、京都市左京区一乗寺花ノ木町にある。
当地は、近江(現在の滋賀県)から比叡山を経て京に通じる平安時代からの交通の要衝で、
この松は古くから旅人の目印として植え継がれ、現在の松は五代目にあたる。
江戸時代はじめ、この地で、剣客 宮本武蔵が吉岡一門数十人と決闘を行った伝説が有名で、当地から東へ約300mのところにある八大神社の境内に決闘を見下ろしたという初代の松の古株が保存されている。
宮本武蔵は決闘に向かう途中、八大神社で神頼みをすることを思い立ったが、神仏に頼ろうとした自分の弱さに気付き、寸前で取りやめたとの話が伝えられている。
平安中期からこの辺りにあった園城寺系の一乗寺という天台宗の寺が地名の由来となっている。
上東門院彰子(じょとうもんいんしょうし)(一条天皇中宮で藤原道長の娘)が、康平6年(1063)同寺を供養したことが「百錬抄」に残されている。
保安2年(1121)に延暦寺衆徒の焼き討ちに遭い、再興されたものの、南北朝の動乱で焼亡したという。
奥にある記念碑は、大正10年(1921)に広島県呉の剣士 堀正平氏とその妻により建立されたものである。
京都市バス一乗寺下り松町下車、徒歩5分。
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