坐摩神社は、大阪市中央区久太郎町4丁目渡辺3号にある神社である。
神社の歴史は古く、神功皇后が新羅遠征をして帰られた折、淀川南岸の大江田簑島後の渡辺の地に祀られた。
祭神は、生井神、福井神、綱長井神、波比岐神、阿須波神で、総称して坐摩神(いかすりのかみ)という。
「いかすり」の語源は、居住地を守るという意味の「居所知(いかしり)」が転じたものである。
大坂城築城に際して、神社は現在の地に移された。
現在の鎮座地名を渡辺と称するのは、元の地名が移されたことによる。
そのため、全国の渡辺、渡部等の姓の発祥の地とされている。
船場が大阪の中心として賑わい始めた時期で、門前に古着屋が多く並び、「坐摩の古手屋」として名高かったという。
船場が繊維の町として大きく発展するきっかけとなり、境内には、繊維神社が祀られている。
また、2006年に天満天神繁盛亭が開場したため、2011年に「上方落語寄席発祥の地」の石碑が建立された。
初代桂文治が寛政年間(1789年〜1800年)に、坐摩神社境内に大阪で初めて寄席を建て、上方落語繁栄の基礎を築いたものである。
お染久松を描いた近松半二作の文楽「新版歌祭文」の座魔社の段では、当神社が舞台となっている。
大阪市営地下鉄本町駅下車、徒歩5分。