南龍山印定寺は、和歌山県日高郡印南町にある浄土宗の寺院である。
鰹節の考案者 角屋甚太郎の位牌が祀られている。
甚太郎の子孫にあたる甚三郎には与一という一人息子がいたが、
奉公人のヲサナと恋仲になり、身分違いの恋に悩んだ末に心中してしまった。
世をはかなんだ甚三郎は財産を印定寺に寄進して、船団を率いて土佐に移住し、カツオの漁法と鰹節の製法を伝えたといわれている。
境内には、角屋悲恋物語の石碑と比翼塚が建てられている。
また、宝永4年10月4日(1707年10月28日)に発生した宝永南海地震津波の災害記念碑が残されている。
いずれも十三回忌にあたる享保4年(1719)に溺死者の供養のために作られた。
「津波溺死霊名合同位牌」は、表に津波の犠牲となった162人の戒名が刻まれ、裏には地震津波による災害の悲惨な様子がつづられている。
「高波溺死霊魂之墓碑」には、背面に札の辻(印南字浜1808番地)と印定寺山門での津波の高さが刻まれ、犠牲者の合同墓であるとともに、災害記録となっている。