曼陀羅山阿弥陀寺(石仏寺)

曼陀羅山阿弥陀寺(石仏寺)は、大阪府河内長野市にある。
御堂横の案内板には、次のように記されている。

    曼陀羅山(まんだらさん)阿弥陀寺(あみだじ)(石仏寺(いしぼとけじ))由来
                        河内長野市石仏
 高野山への道、河内長野からいよいよ山道に分け入る難関険阻(けんそ)の坂の頂に、お寺が建っています。
正式の名前は、曼陀羅山阿弥陀寺といい、平安の昔[弘仁年代](西暦八一〇年頃)弘法大師空海によって開かれました。
御本尊の石仏は、若き日、讃岐国弥谷寺(いやだにじ)(四国八十八ケ所霊場七十一番札所)で修行中に自ら刻んだ石仏をこの地に安置したのがはじまりとされています。
いつしか人々は、親しみを込めて「石仏寺(いしぼとけじ)」とよび、村の名前も「石仏村(いしぼとけむら)」とよばれるようになりました。
すぐ北側の「大師の井戸」と共に高野参詣の人たちに、大師の聖跡として信仰を集めました。
 元禄十年(西暦一六九七年)二月二六日、石仏村の大火によって多くの記録は失われました。
わずかに残された資料と伝承から、中世には、背後の山に城が築かれ戦乱によって荒廃した石仏寺は、江戸時代になって村人や観心寺の僧侶によって再興され、慶安三年(西暦一六五〇年)四月、観心寺の僧、源養を導師として再興法要が営まれました。
真言宗寺院でしたが後に、融通念仏宗錦渓山極楽寺末寺となりました。
 その後、老朽により廃寺となりましたが、地元の皆様に依って平成十七年三月、現在の石仏寺に再興されました。
      石仏寺管理運営委員会

御堂の中には、石造の阿弥陀如来像がある。
また御堂前に法界供養塔(享保9年(1724))、日待塔(明暦3年(1657))がある。



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