美濃大垣藩主 石川康通供養塔

美濃大垣藩主 石川康通供養塔は、和歌山県高野山奥の院32町石西にある。
松平(結城)秀康及び同母霊屋の後方(西側)に位置する。
五輪塔地輪には次のように刻されている。(水原堯榮氏「高野山金石図説」参照)
本国三河岡崎今美濃國
大垣(異体字)城主潔常宗英
     寶樹院殿前長刕
(梵字) 爲 大菩提也
     花嶽宗英神儀
石川長門守殿五位豐臣
康通菩提慶長十二稔七月廿六日

隣接する小型五輪塔の地輪には、高山與助夫妻の法名が刻されている。

石川康通(やすみち)(1554-1607)は、徳川家康の忠臣 石川家成(いえなり)の長子として生まれた。
徳川家康に仕え、父のあと天正8年(1580)遠江国掛川城主となり、慶長6年(1601)美濃大垣城主となった。
慶長12年7月26日54歳で没した。法名は、法樹院華嶽宗英である。



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