一色稲荷神社

一色稲荷神社は、京都府宮津市鶴賀にある。
丹後守護職一色氏は、南北朝末期 明徳3年(1392)正月に補任された一色満範が第一代で、その後 若狭武田氏にその職を奪われたことがあったが、守護職を続けていた。
天正8年(1580)に細川藤孝が丹後に国替えとなった時、一色家との関係を慮った藤孝は婚姻による融和を画策した。
12歳の娘 伊弥を一色五郎(義俊、義清)に嫁がせたのである。
暫く両氏が対立することはなかったが、本能寺の変のあと、天正10年8月に藤孝の嫡男 細川忠興が上洛し、秀吉と会った後、安土、岐阜を訪れている間に、突如一色勢が宮津城をうかがう様子をみせたため、一色家を討伐する決意を固めた。
天正10年9月8日、細川忠興は宮津城近辺にあった米田宗堅(そうけん)の屋敷(別の資料では有吉屋敷)に一色五郎(義清)を招き、饗応の席で「腹きらせ」た。その後、細川勢は一色家の居城 弓木城を攻略し、丹後平定を実現した。
現地の宮津市教育委員会の案内板では、米田屋敷(有吉屋敷)が、一色稲荷神社の付近にあったとされている。
近世後期の地誌「丹哥府志」には、一色稲荷の場所に「一色義清の墓」が載せられており、謀略に倒れた一色氏の怨霊に対するおそれが、城郭付近の当地に鎮魂の社を存続させたと考えられている。



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