岩倉池応其上人五輪塔

岩倉池応其上人五輪塔は、和歌山県橋本市隅田町垂井の岩倉池南側にある。
応其上人(1536-1608)は、近江の武士の家に生まれたが、天正元年(1573年)高野山で出家し、五穀を断つ木食行に専念して、木食応其とも呼ばれた。
豊臣秀吉の高野攻めに際して、粉河の秀吉の陣へ行き、和議を整えて高野山存亡の危機を救ったことで知られる。
応其上人は、宗教家としてだけでなく、土木事業にも手腕を振るい、各地の大きな業績を残している。
天正15年(1587年)紀の川に長さ130間の橋を架けたほか、橋本市南馬場の平谷池、高野口町応其の引ノ池とともに、岩倉池の改修も行った。
元禄7年(1694年)の記録では、岩倉池の灌漑水田面積は、6ケ村71町3反余に及んだといわれる。
この五輪塔は、用水の恩恵に浴した垂井、中島、芋生、中下、真土、霜草の農民が、応其上人の業績を称えて、天正18年(1590年)に建立したものである。
地輪正面に「天正十八年 木食興山上人 三月吉日」 左側面に「施主 壇衆 隅田各字中 百姓中」と刻されている。
砂岩製で、高さは2.36m、周囲に結界を設けている。昭和56年8月に橋本市文化財に指定されている。
南海高野線橋本駅からバスで岩倉池下車、徒歩3分。



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