石津太神社は、堺市西区にある神社である。
当社は、延喜式式内社で、社伝によると孝昭天皇7年(紀元前469年)に創建された。孝徳天皇が白雉3年(653年)に当社を参拝している。
祭神は、蛭子命(ひるこのみこと)、八重事代主命(やえことしろぬしのみこと)、天穂日命(あめのほひのみこと)、建御名方富命(たけみなかたのかみ)の四神である。
蛭子命は、恵比寿神(戎さん)として親しまれており、戎神を祀るわが国最古の神社といわれている。
北本殿、南本殿、拝殿、一の鳥居、二の鳥居は江戸時代に建設されたもので、堺市有形文化財に指定されている。
鳥居東側には、「五色の石」の碑があり、八町四方あったといわれる境内の本殿の跡といわれ、蛭子命が石津の浜に流れ着いた時、天磐樟船(あめのいわくすふね)に蛭子の命と一緒に積んであった五色の宝石(神社の御神体)を埋めてある場所といわれている。
阪堺電気軌道阪堺線石津駅下車、徒歩5分。
毎年12月14日(旧暦11月14日)、当社で行われる冬季例大祭の火渡神事で、むかし蛭子命が流れ着いた時、漁師が108束の薪を集め、火を焚いて温めて迎えたという伝説によるものである。
八束、百束という語が、「やっさい、ほっさい」に転じたといわれ、氏子の中の年男一人を青年二人が担ぎ、燃え盛る火の中を「やっさいほっさい」の掛け声とともに火渡りをするもので、泉州の奇祭といわれている。