伊予河野家供養塔は、和歌山県高野山奥の院20町石西にある。
東側(写真向かって左側)に、河野通直供養塔(総高161.9cm)、西側に、河野通直母供養塔(総高174cm)が建立されている。
各地輪には、次のように刻されている。
天正十五年丁亥
伊豫國河野通直
(梵字)
月渓宗圓大居士
七月十四日
天正十六年戊子
豫刕河野通直母儀
(梵字)
天遊(方がてへん)永壽逆修
四月二十六日
河野通直(1566-1587)は、織豊時代の武将で伊予国(愛媛県)河野氏最期の当主である。
河野道宣(みちのぶ)の養子となり、永禄11年(1568)伊予河野宗家を継いだ。
天正4年(1576)長宗我部元親に降伏し、領国は長宗我部氏の支配下となった。
天正13年(1585)豊臣秀吉の四国攻めで投降し、領国を失った。
安芸(広島県)竹原の小早川隆景の元に移され、天正15年22歳で死去した。
河野通直の母は、毛利元就の重臣 宍戸隆家(ししどたかいえ)の娘で、通直の死後、翌年に逆修で当地の五輪塔を建立した。
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