伊予大洲 加藤家供養塔

伊予大洲 加藤家供養塔は、和歌山県高野山奥の院28町石南にある。
密厳堂身代わり地蔵尊(頬截地蔵)の間にある。
史跡金剛峯寺境内(奥院地区)大名墓総合調査報告書によると、中型五輪塔4基、小型五輪塔27基、櫛型方柱墓標5基、その他15基がある。
奥の院参道から階段を上った墓所に、墓石がコの字形に並べられている。
北東側の一番高い五輪塔は、加藤貞泰供養塔である。
五輪塔地輪には、「与刕大洲爲加藤左近殿 爲英叟雄公大居士□」と刻されている。
加藤貞泰(さだやす)(1580-1623)は、羽柴秀吉の家臣 加藤光泰の次男として生まれた。
父が朝鮮出兵の際に陣没したため、甲斐国府中24万石を襲封したが、父光泰が石田三成と不和であったため、15歳の若年という理由もあり、美濃国黒野4万石に転封させられた。
関ヶ原の戦いでは東軍に属し、伯耆国米子城へ移封となった。大坂冬の陣、夏の陣でも戦功を挙げ、伊予国大津(愛媛県大洲市)6万石に移った。
加藤家は、大洲入封後は転封することなく、明治維新を迎えている。



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