城中焼亡埋骨墳

城中焼亡埋骨墳は、大阪市中央区大阪城公園内の玉造門南側にある。
慶応4年(=明治元年、1868)戊辰戦争の時、明治維新によって旧幕府が本拠としていた大坂城が新政府軍に引き渡されるに際し、
これを潔しとしない幕臣たちが、城内に火を放ち自害した。
新政府軍の主力であった薩摩、長州の両藩の有志は、彼らの遺骨を埋葬し、武士の鑑とたたえて、同年7月にこの石碑を建立した。
のちにこの碑は「残念塚」「残念さん」と呼ばれ、どのような願いもかなえてくれるとして、人々から信仰されたという。



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