常喜院は、和歌山県高野山南谷の大師教会北側にある。
寺伝によると、空海の十大弟子のひとり道光大師実恵が開基で、その後、保元元年(1156年)仏種坊心覚が、一夜の庵を建てて再興した。
心覚は、奈良東大寺の学僧で小野諸流、保寿院流などの密教事相(修法の仕方)を受け、広沢流の一派常喜院流を開いた。
古くは、往生院谷にある聖の寺であったが、江戸時代は行人方の一院となり、小田原谷の枝谷浄土院谷入口西側に移転、明治3年(1870年)来迎院、三室院を併せて現在地に移転した。現所在地は最勝院の跡地で、同院の名跡は常喜院が管理している。
本尊の木造地蔵菩薩坐像は、国の重要文化財に指定されている。
常喜院校倉は、寛永年間に行人方が造立したもので、興山寺の東照宮の境内にあったものを移築したといわれ、和歌山県の指定文化財となっている。
宝形造りで、内部は内陣、外陣に分かれ、内陣は土蔵で本尊に普賢延命菩薩を安置している。
護摩堂の本尊大威徳明王は、天正19年(1591年)第22世の編覚律師が豊前小倉城内で祈祷し、その喜びで黒田長政が寄進したものである。
山門横の地蔵堂には、恵方地蔵尊(愛称:赤じぞう、紅箔じぞう、玉じぞう)のほか、さすり地蔵などが安置されている。
南海高野線高野山駅からバスで金剛峯寺前下車、徒歩2分。