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盛泉寺は、大阪府守口市にある浄土真宗大谷派の寺院である。
本尊は阿弥陀如来で、本堂には親鸞聖人真向きの御影が祀られている。
江戸時代初期に、本願寺が東西に分離されたため、守口門徒の有力者も東西両派に分かれた。
西派は、難宗寺に、東派は、本尊を遷して、盛泉寺(じょうせんじ)をそうけんすることとなった。
当寺は、慶長11年(1606)教如上人によって建立され、慶長16年(1611)に東本願寺の別院となった。
難宗寺は、西御坊と呼ばれ、盛泉寺は、「東御坊」「東の御堂さん」と呼ばれている。
元和元年(1616)大坂夏の陣の兵火で焼失し、寛永年間(1624-1644)に再建されたが、度々の風水害を受け、今の堂宇は天保6年(1835)に再建された。
慶応3年(1867)10月徳川幕府の大政奉還後、官軍の大久保利通は人心を一新するため「大坂遷都案」を進言したが、副総裁岩倉具視は公家衆の反対は必然と考え、表向きは大坂へ敗走した幕府軍を追う親征として、明治天皇は大坂へ向かった。
これは、遷都の意思を持った行幸であったので、三種の神器の一つ「八咫鏡」を伴って慶応4年(1868)3月22日に明治天皇が守口に休泊した際、八咫鏡を祀る内侍所(賢所)が本堂前に置かれた。
堀重門前には、「史蹟内侍所奉安所阯」の石碑が建立されている。この門は、明治天皇行幸の際、正門では敷居があり御羽車が通らないため急遽拵えられたものである。
塀に重ねて造営されたため、塀重門と呼ばれている。
本堂前には、「内侍所之跡 正二位大勲位侯爵 松方正義書」と記した石碑がある。

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