垣花大師堂は、和歌山県橋本市高野口町にある。
「文政の頃(1818~1829)から弘法大師の徳を慕ってささやかなお堂を建てて信仰していた。」
現在のお堂は大正12年10月1700円を投じて改築されたものだと伝えられている。
石灯籠は文政10年(1827年)、今城千代吉が「五穀成就、国土豊穣、万家諸人繁栄、子孫繁栄」を祈願して建立した。
嵯峨天皇が高野参詣の際にこの垣花大師で一服したという腰掛石(嵯峨天皇みくるま石)がある。
紀伊続風土記の名倉村に「道ノ王石」として次のように記されている。
「村の南二町許 道の側にあり 長七尺五寸横一尺五寸 横にふしたり
石色青し 土俗傳へいふ 古 嵯峨天皇(これも宇多帝なるへし)高野行幸の時
此石上に立せ給ひし石故 上に王の字を彫りたりといふ
此石に登る者あれは 忽瘧疾を病むとて 人怖れて近づく者なし」
現在の石には、王の字は削落して見当たらない。
昔はここに参拝してから高野山を目指した。毎年3月21日に弘法大師御影供が行われる。
三叉路に立つ道標には、「左 こうやさんみち 右 すてんしょ(高野口駅のこと)」と書いた古い石塔が建っている。