遍照山 覚樹院 高野寺は、和歌山市元寺町北ノ丁にある高野山真言宗の寺院である。
慶長年間(1596-1615)に、勢誉法印(1549-1612)が創建したと伝えられている。
初代紀州藩主 浅野幸長の命によって梁瀬の里(現 かつらぎ町花園梁瀬)から現在地に移された。
紀伊続風土記一には、「真言宗高野山興山寺持輪番所」と記されており、江戸時代覚樹院は、高野山行人方(ぎょうにんがた)が紀伊藩と交渉する際の窓口となった寺であった。
紀伊名所図会には、江戸時代後期の境内の様子が詳しく描かれている。
昭和20年(1945)の空襲で堂舎は焼失したが、その後復興し毎月21日の大祭には多くの参拝者が訪れる。
本尊の厄除弘法大師は、右手に五鈷杵、左手に念珠を持った像高77.7cmの木像である。
紀伊続風土記によると、本尊弘法大師像は、高野山領の梁瀬にあった霊像としている。
また紀伊名所図会では、大師像は保田荘(花園荘の誤り)梁瀬でまつられていた霊像で、慶長年間にこの地を浅野幸長から法印勢誉がもらい、
応其上人がかつて豊臣秀吉から伏見で賜った殿閣を貝塚の卜半斎了珍(ぼくはんさいりょうちん)(1526-1602)が仲介して施入し、堂舎として大師像を本尊としたという。
紀伊続風土記や紀伊名所図会には、本尊の霊験について、飢饉の際に大師像を祀ると蔓菜(つるな)が生えたことから、不蒔菜(まかずな)の大師と呼ばれたと記されている。
南海電鉄和歌山市駅下車、徒歩10分。
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