御霊神社(上御霊神社)は、京都市上京区にある。
御霊とは、非業の死を遂げた人の霊のこと。
奈良時代末から平安時代にしばしば疫病が流行し、それを御霊の祟りであるとして、その怨霊をを鎮めるために祀ったのが御霊神社で、全国各地にある。
当地には、はじめ付近住民の氏寺として創建された上出雲寺があったが、延暦13年(794)の平安京遷都に際し、桓武天皇の勅願により、王城守護の神として8柱の神霊が祀られた。
社伝によると、崇道天皇(早良親王)の神霊を祀ったのを初めとし、後に、井上(いのえ)内親王、他部(おさべ)親王、藤原吉子(きつし)、橘逸勢、文室宮田麻呂(ふんやのみやたまろ)を合祀し、さらに火雷天神(菅原道真)、吉備真備を併祭し、八所(はっしょ)御霊と称する。
その後、明治天皇の御願により、祭神五社が増祀され、現在13社の神霊がまつられている。
平安時代には、御霊信仰により、怨霊をなだめるための御霊会が度々行われ、疫病除けの霊社として名を広めた。
朝廷から庶民に至るまで広く信仰を集め、特に御所の守護神として皇室の崇敬が厚く、神輿や牛車等の皇室からの寄付品を多数蔵しており、社殿の造営には内侍所の建物が下賜されている。
現在の本殿は、享保18年(1733)に下賜された賢所御殿を、昭和49年(1755)に復元したものである。
応仁元年(1467)畠山政長がここに陣を構えて、畠山就成と戦ったのが応仁、文明の乱の発端となったことから、社前に応仁の乱発祥地の碑が建てられている。
京都市営地下鉄鞍馬口駅下車、徒歩5分。
御霊祭は、貞観5年(863)に天災や疫病の流行を鎮めるために神泉苑で行われた御霊会(ごりょうえ)を起源とし、以来祭神の神霊を安らかにするため続けられている。
御神輿三基、御車をはじめ、剣鉾、八乙女、稚児行列、武者行列など総勢600名の渡御行列が行われる。
明治維新までは、御神輿が今出川御門から御所に入り、朔平(さくへい)御門に奉安し、天皇が見る「御苑巡幸」が行われた。
明治以降途絶えていたが、平成21年に約140年ぶりに御苑巡幸が復活し、続けられている。
昭和40年まで、5月1日(神幸祭)、18日(還幸祭)と2回御神輿が渡御していた。
その後、5月18日に神輿渡御が行われたが、令和元年(2019)には、当社御神輿北之御座御下賜400年を記念して、1日に神幸祭が復活した。