かむろ地蔵は、和歌山県橋本市学文路にある。
地蔵前の由緒書に次のように記されている。
弘法大師が高野山を開いたとき、「かむろ」は桜の名所として名高く「香室(かむろ)」と書いていた。
この香室の里に、自らを物狂道士と称する高徳の士が隠棲していた。
この人が謡曲「高野物狂」の主人公高師(たかし)四郎で、その善行美徳は遠くまで感化を及ぼしていた。
殊に学問の道の教導に力を尽くしたため、この地方では字の読めない者が一人もいなかったということで、当時としては珍しいことであった。
こうしたことから「香室」を「学文路」と書くようになった。
弘法大師も深く道士をめでていたので、道士がこの地で大往生を遂げた時、菩提のために読経をした。
その時、弘法大師が腰かけた石がこの垣内正面に安置されている石で、その後これをお大師さんの腰かけ石と呼んで祀るようになった。
後に地蔵三基が次々に寄進され、現在のかむろ地蔵となった。
このためこの地蔵尊は、子供たちの守護の地蔵であるとともに、特に「学問のお地蔵さん」として信仰されている。
紀伊国名所図会巻之四には、次のように記されている。
〇物狂石 学文路村内、左側にあり。石上に小堂を安ず。〔禿物狂〕といふ謡曲に出ず。
南海高野線学文路駅から徒歩10分。