金崎宮(かねがさきぐう)は、福井県敦賀市金ヶ崎町にある。
祭神は、後醍醐天皇の皇子 尊良(たかなが/たかよし)親王、恒良(つねなが/つねよし)親王である。
延元元年(1336)後醍醐天皇は、南朝の勢力回復を図るため、新田義貞に命じて、尊良親王、恒良親王を奉じて敦賀に下向させた。
一行は吹雪の中を難行して木ノ芽峠を越えて敦賀に着き、氣比神宮の大宮司気比氏治に迎えられて、その居城である金ヶ崎城にこもった。
しかし高師泰(こうのもろやす)率いる北朝足利方の6万余りの兵の攻撃を受け、延元2年(1337)3月6日に落城し、尊良親王、新田義顕(よしあき)、気比氏春以下将兵約三百人が亡くなった。
恒良親王は、落城直前に気比斎晴によって脱出したが、やがて捕らえられて京都で幽閉され、翌年毒殺された。
明治時代になって、敦賀町民有志の請願で、明治23年(1890)9月に尊良親王を祭神として、旧官幣中社 金崎宮創建が決まり、明治25年(1892)恒良親王が合祀され、明治26年(1893)鎮座祭が挙行された。
その後、類焼で本殿以下三棟が焼失したため、明治39年(1906)に神明造の本殿、中門などが再建された。
摂社絹掛神社は、延元の役に殉じた藤原行房、新田義顕、気比氏治、気比斎晴、瓜生保などの将兵、公卿が祀られている。
太平記巻十七、十八には、金ヶ崎城の戦いの様子が詳しく描かれている。
毎年4月の桜開花期には、花換祭が行われ、神社で授与される「桜の小枝」を交換すると福を招き、良き縁に恵まれるといわれる。
JR敦賀駅からバスで金崎宮下車、徒歩5分。参拝者用の駐車場がある。
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