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中将姫縁之家 勘定仕宅跡は、奈良県五條市田殿町にある。
県道732号の阪本五條線を南下し、重森稲荷社の小さな祠手前の側道(「橋本 只野」の行先表示あり)を西側に入って、約500m南に下った西側に、石碑が建立されている。
石碑には、次のように刻されている。
(表面)
中将姫旧跡
中将姫縁之家 勘定仕宅跡
橋本紫閣書
(裏面)
昭和五十七壬戌歳五月
中将姫旧跡保存委員会建之
中将姫説話は、永享8年(1436)の「当麻曼荼羅疏」(聖聡)において、紀伊国有田郡と大和国宇陀郡のひばり山を中将姫の遺棄される場所としていた。
その後の謡曲「雲雀山」においては、次のように、ひばり山は大和国と紀伊国の境にあるとされている。
ワキツレ
「かやうに候者は、奈良の都横佩の右大臣豊成公に仕へ申す者にて候、
さても姫君を一人御持ち候を、さる人の讒奏により、大和紀の国の境なる雲雀山にて失ひ申せとの仰せにて候--」
謡曲「雲雀山」の内容に沿う形で、奈良と和歌山の県境に中将姫を匿い、姫の世話をしていたとの伝承地がある。
その一つが、奈良県五條市田殿町にある仲山家である。
中将姫を匿い、姫が過ごす間、訪ねてきては食べ物や金銭を恵んでいった人々の記録や勘定をする役割を担ったと伝えられ、勘定仕(かんじょうし)という屋号を持つ。
かつて仲山家があった当地には、昭和57年(1982)に石碑が建立された。
現在も仲山家には、姫からお礼に受け取った姫の念持仏と伝わる小さな観音像が祀られている。
(日沖敦子氏著「時空を翔ける中将姫」参照)

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