神南辺道心の墓

神南辺道心(かんなべどうしん)の墓は、堺市堺区旭蓮社にある。
神南邊大道心隆光は、江戸時代の人物で俗名を弥兵衛といい、大和国生駒郡神南村の出身である。
河内国布施村あるいは東足代村の鋳物師(いもじ)といわれている。
幼少の頃は、殺傷を好み、鋳物師としての技量は良いが素行は悪く無頼漢であった。
ある時、夢の中に地蔵菩薩が現れ、今後善行を積めば地獄域から救うとのお告げを聞き、弥兵衛は仏門に入った。
諸国を行脚し各地に道標を建て、橋を架け、また多くの地蔵を建立した。
百舌鳥八幡宮境内の道標石「さかい神南邊」(文政8年(1830年)建立)や、高渚寺の千日井場所に岩喜兵衛と建てた水難者の供養碑などがある。
また、京都御室山八十八カ所の標識の再建に尽力し、御室御所から神南邊(かんなべ)と称する許しと道心号を与えられた。
京都の大仏炎上の際には、全国を行脚して寄付を募り、天保7年(1836年)嵯峨御所より錫杖を下賜、また念珠を堺奉行から贈られている。
旭蓮社門前には「塩風呂薬師佛石像 神南邊道心墓 當寺」の石碑が建てられて、墓は、道心座像の下に神南邊大道心墳と記され、本堂に西側に建てられている。



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