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初代中村勘三郎生誕記念像は、名古屋市中村区にある。
当地の案内板には、次のように記されている。
初代 中村勘三郎 生誕記念像 建立の由来
豊臣秀吉公・加藤清正公の生誕地として知られる当地、名古屋中村が生んだもう一人の偉人が初代中村勘三郎である。
初代中村勘三郎は慶長三年(一五九八)頃から万治元年(一六五八)頃までを生きたとされる歌舞伎役者。
京都で大蔵流狂言を学び、創作した舞踊は後に「猿若舞」と呼ばれ、当時大変な人気を集めたと伝わっている。
それにちなみ、京から江戸に下ってのちは猿若勘三郎と名乗り、寛永元年(一六二四)頃、中橋南地(現在の日本橋付近)で「猿若座」を開設。
江戸で初めての常設の芝居小屋であり、初代中村勘三郎が江戸歌舞伎の開祖といわれる由縁である。
以降、明治まで幕府の認可を受けた江戸三座のうちにあり続けた。
慶安四年(一六五一)頃に堺町に移転。その際、中村勘三郎を名乗り、この時猿若座の名前も中村座と改めたと言われている。
この中村姓の発祥は生地中村であると中村屋一門にも公認されており、平成十八年(二〇〇六)には区内同朋高等学校で十八代目中村勘三郎の襲名披露公演も行われている。
出自には諸説あるが「甲子夜話」(江戸後期にも「生國尾州愛智郡中村」と記され、祖父右近の兄にあたる中村式部少
輔一氏は豊臣三中老の一人であり、秀吉公が織田信長公の臣下にあるうちから仕えていたとの説もあり、当地との浅からぬ縁が伺える。
かかる経緯により、中村勘三郎家、中村屋一門と当地のかかわりを嘉して、平成二十八年(二〇一六)地元団体が「初代中村勘三郎生誕像を中村公園に建立する会」を結成、篤志家の協力を得てここに初代の銅像を建立し、その遺徳を顕彰する運びとなった。
区民がこの銅像を仰いでは郷土の生んだ偉人と歴史文化を誇り、輝かしい未来を築かんとする礎となることを願う。
豊國神社 宮司 近藤一夫

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