家隆塚

家隆塚(かりゅうづか)は、大阪市天王寺区にある。
当地は鎌倉時代前期の歌人、藤原家隆(1158-1237)の墓があったと伝えられるところで、昭和51年(1976)に大阪府史跡に指定されている。
家隆は「新古今和歌集」の撰者として知られ、京の都で活躍した歌人であるが、晩年は官職を辞し、嘉禎2年(1236)この地に「夕陽庵(せきようあん)」を結んで余生を送った。
西の海に落ちる夕陽を見て詠まれた
 契りあれば なにわの里に宿り来て 波の入日を拝みつるかな
の歌から夕陽丘の地名が生まれたと伝えられている。

塚の頂上にある五輪塔は、平民宰相として知られた原敬が、大阪毎日新聞の記者であった時、昵懇にしていた陸奥宗光に頼まれてここに設置したといわれている。
高さ約2.5mで、五輪には空、風、火、水、地の文字が刻されている。地輪の部分に施主などの文字が刻まれているが、表面があれており詳細は不明である。
地輪の下には、反花(かえりばな)座がある。笠の反りが大きいことや空輪の先端が突き出た形態であることから江戸時代のものと考えられている。
五輪塔西側には、享保6年(1721)家隆を慕う秋野坊成順が建てた顕彰碑があり、京都の安井門跡 道如の撰文が刻まれている。
石碑の表面が剥落しているが、木村敬二郎が著した「大阪訪碑録」(昭和5年刊)に全文が掲載されており、石碑前のパネルで紹介されている。

家隆塚は、昭和51年(1976)大阪夕陽丘ライオンズクラブにより整備されたことをきっかけとして、大阪府史跡に指定された。
史跡名称は「伝藤原家隆墓」となっているが、一般には「家隆塚(かりゅうづか)」と呼ばれている。

大阪メトロ谷町線四天王寺前夕陽け丘下車、徒歩5分。



TOP PAGE  観光カレンダー
TOP PAGE  观光最佳时期(旅游日历)