笠朝臣金村 万葉歌碑

笠朝臣金村 万葉歌碑は、和歌山県橋本市隅田にある。
平成10年11月23日に橋本万葉まつり実行委員会により建立された石碑(井関潤石氏揮毫)には、次のように刻されている。

     笠朝臣金村作歌
大君の 行幸のまにま もののふの
八十伴のをと 出でゆきし 愛し夫は
天飛ぶや 軽の路より 玉襷
畝火を見つつ あさもよし
紀路に入り立ち 真土山 超ゆらむ君は
黄葉(もみじば)の 散り飛ぶ見つつ 親(むつま)しく
われは思はず 草枕 旅をよろしと
思ひつつ 君にあらむと あそそには
かつは知れども しかすがに
黙然(もだ)も得あらねば わが背子が
行きのまにまに 追はむとは
千たび思へど 手弱女(たおやめ)の
わが身にしあれば 道守の 問はむ答を
言ひ遣らむ すべ知らにと
立ちてつまづく
            井関潤石
        万葉集 巻四ノ五四三

(意味)
天皇の行幸につき従って、数多くの大宮人たちと一緒に出かけて行った、ひときわ端正な私の夫は、
軽の道から畝傍山を見ながら紀伊の道に足を踏み入れ、真土山を越えてもう山向こうに入っただろうが、
その背の君は山の紅葉を散り乱れるのを眺めながら、慣れ親しんだ私のことなどは思うても下さらないで、
旅に出ている方が良いと思っていると薄々気づいてはいるけれども、それでもじっとしてはいられないので、
あの方の行った道筋どおりに、私もあとを追っていきたいと何度も思うのだが、
か弱い女の身であるので、関所の役人に尋ねられたらどう答えたら良いか、言い訳する手立てもわからなくて、
立ちすくんでためらってしまう。

「続日本紀」に、神亀元年(724)の10月5日から23日まで、聖武天皇の紀伊の国和歌の浦への行幸があった事が記されている。
当地歌碑の長歌は、その時、従駕(おおみとも)の人に贈るために、宮廷歌人の笠朝臣金村が、大和に残った、さる娘子に頼まれて作った歌である。



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