片桐石州 石州流茶道 ゆかりの地

片桐家墓所 石州流茶道流祖之墓

片桐家墓所 石州流茶道流祖之墓は、京都市北区紫野上門前町にある。

石州流は、片桐石州を開祖とする茶道の流派である。
茶法の基本は台子(だいす)の伝法にあるとの考えのもと、千利休の長男 千道安(せんのどうあん)から桑山宗仙(くわやまそうせん)へと伝わった利休一畳半の作法を、さらに工夫改良し、独自の茶風を形成して一流派を開いた。

片桐石州(1605-1673、貞昌、三叔宗閑(さんしゅくそうかん))は、片桐且元の弟 片桐貞隆の子で、摂津茨木に生まれた。
石州の名は、寛永元年(1624)石見守(いわみのかみ)に任じられたことによる。
寛永2年(1625)、父 貞隆の没後、大和小泉藩1万6400石(当初)を継ぎ、第2代藩主となった。
寛永10年(1633)から各所の作事奉行を努め、慶安元年(1648)第3代将軍徳川家光の命により、徳川将軍家に所蔵された名物道具である柳営御物(りゅうえいごもつ)の分類整理を行っている。
寛文5年(1665)、片桐石州は、船越伊予守とともに第4代将軍徳川家綱及び老中に献茶し、この献茶の成功によって、古田織部、小堀遠州に続いて、将軍家の茶道師範となった。
その後、石州流の茶道は、旗本や全国の大名に広がった。
片桐石州は、寛文10年(1670)に三男 貞房に家督を譲り、延宝元年(1673)11月に小泉で死去した。
石州は造園にもすぐれ、慈光院庭園は、片桐石州設計の代表作である。

令和7年(2025)2月22日から3月30日まで、根津美術館で特別展「武家の正統 片桐石州の茶」が開催されている。



慈光院

慈光院は、奈良県大和郡山市小泉町にある臨済宗大徳寺派の寺院である。
寛文3年(1663)当地の大名であった片桐石見守貞昌(石州)が、大徳寺第185世 玉舟宗璠(大徹明應禅師)を開山に迎え、父 片桐貞隆(慈光院殿雪庭宗立居士)の菩提寺として建立した。
片桐貞昌は、茶道石川流の祖であり、武家流茶道を完成した。江戸幕府4代将軍 徳川家綱の茶道師範をつとめている。
そのため、慈光院自体も荘厳な雰囲気のものではなく、境内全体が一つの茶席の風情になるように考えられている。
茅葺の楼門(茨木門)を入ると、入母屋造 茅葺の書院と茶室(ともに国重文)がある。
片桐貞昌の伯父 片桐且元が城主であった摂津茨木の城は、貞昌の出生地で、後に徳川家康の発した一国一城令により取り壊された。
その櫓門を貰い受け移築し、屋根と書院を合わせて茅葺に葺き替えて山門としたのが、茨木門である。
本堂は、昭和59年に再建されたもので、天井には前田青邨門下の入江正巳画伯(1924-2004)の墨絵の雲龍図が描かれている。
庭園は、枯山水で大和盆地を借景にしたもので、国の名勝、国史跡に指定されている。
毎年 仲秋名月の夜には、観月会が催される。
JR大和路線 大和小泉駅下車、徒歩20分。参拝者用の駐車場がある。




髙林庵

髙林庵は、奈良県大和郡山市にある。
髙林庵は石州流茶道流祖 片桐石見守貞昌「片桐石州」の旧片桐城跡である。
現在は財団法人髙林庵、石州流茶道宗家の本部で片桐家の住まいである。

片桐石州は小泉藩二代藩主で徳川四代将軍家綱の茶道師範をつとめた。
石州流茶道は江戸幕府御政道の茶として、大名、武家、御家人等を中心に日本各地に普及した「武士の茶道」である。

片桐家は、賤ケ獄七本槍の一人 片桐且元を祖とし、且元死後、弟の片桐貞隆が遺領を受け、貞隆死後に、嫡子の片桐石州が家督を継いだ。
その後、片桐家が13代にわたり当地の大名をつとめた。




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