中将姫旧跡 餓え坂(かつえざか)

中将姫旧跡 餓え坂(かつえざか)は、奈良県五條市火打町にある。

中将姫説話は、永享8年(1436)の「当麻曼荼羅疏」(聖聡)において、紀伊国有田郡と大和国宇陀郡のひばり山を中将姫の遺棄される場所としていた。

その後の謡曲「雲雀山」においては、次のように、ひばり山は大和国と紀伊国の境にあるとされている。
ワキツレ
「かやうに候者は、奈良の都横佩の右大臣豊成公に仕へ申す者にて候、
さても姫君を一人御持ち候を、さる人の讒奏により、大和紀の国の境なる雲雀山にて失ひ申せとの仰せにて候--」

謡曲「雲雀山」の内容に沿う形で、奈良と和歌山の県境に中将姫を匿い、姫の世話をしていたとの伝承地がある。
中将姫を養い育ててくれた松井嘉藤太・お松夫妻が亡くなった後、食べ物を求めて「乞門(こいもん)屋敷」へ行くために、空腹の中将姫が坂道を喘ぎ喘ぎ歩いたことから、「餓え坂(かつえざか)」と呼ばれるようになったと言われている。
(日沖敦子氏著「時空を翔ける中将姫」参照)



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