葛城第十七経塚は、大阪府河内長野市天見にある法華経分別品の天見不動経塚である。
修験道の聖地・葛城山は、大阪・和歌山県境を東西に連なる和泉山脈から北上して、奈良・大阪府県境の金剛山脈へと連なる峰々の総称である。
修験道の開祖・役行者は、葛城の峯を仏法の世界と見立て、法華経八巻二十八品(ほん)をそれぞれ経筒に入れて埋納したと伝えられ、葛城二十八宿と呼ばれている。
この二十八品の経塚は、友が島の序品窟に始まり、葛城の峰を西から東に埋納し、第二十八品は大和川の亀の瀬の経塚で終わる。
明治5年(1872年)9月15日の修験道廃止令によって修験道は廃止され、衰退したが、第二次世界大戦後の信教の自由によって復活し、葛城二十八宿の経塚の実地調査が実施された。
経塚前に白の柱が立ち、天見不動といわれる二体の石仏が、石組みの上の厨子の中におかれている。
修験者は、経塚に勤行し、その証として、祈願文と年月日修験派名を記した木札を奉納する。この木札を「碑伝(ひで)」と呼び、経塚や行所にはこの碑伝が置かれている。
南海高野線天見駅下車、流谷八幡宮から砥石の谷を経て徒歩約60分。(Y.N)