国史跡 川原寺跡

国史跡 川原寺跡は、奈良県明日香村にある。
川原寺は、法名を弘福寺(ぐふくじ)ともいわれている。
その創建年代については諸説があるが、日本書紀の天武天皇2年(673)3月条に「書生を聚めて始めて一切経を川原寺に写さしむ」とあることから、これ以前に建立されていた。
伽藍配置や瓦の文様が大津宮の南滋賀廃寺や大宰府の観世音寺と類似することから、天智天皇の時代(662-671)に斉明天皇の冥福を祈って建てられたものと考えられている。
天武持統朝には厚遇されていることが、史料に残されており、大官大寺、飛鳥寺、薬師寺とともに四大寺の一つとされた。
平城遷都の際に、他の三寺は新京に移ったが、川原寺は旧地にとどまり、そのためか徐々に寺格が低下したと考えられている。
平安時代初期には、空海が当寺を賜り、東南院に止住したと伝え、その後は東寺の末寺となった。
江戸時代には草堂を残すのみとなったが、寺域内に礎石が多く残っていたことから、大正10年(1921)に国史跡に指定された。

昭和32年~33年の発掘調査の結果、中金堂(現在の弘福寺の場所)の前には、東に塔、西に西金堂が配置され、中門から出た回廊がこれらを囲むようにして中金堂へとつながっていることが判明した。
また中金堂の北には講堂があり、これを取り囲むように僧房が3面にある。
川原寺で使われていた複弁蓮華文軒丸瓦は、川原寺式軒瓦と呼ばれ、天武天皇の時代には、近畿、東海地域の古代建築で見られ、壬申の乱で功績のあった氏族の寺院と関係のあったものと考えられている。
現在、弘福寺境内にある瑪瑙(白大理石)の礎石と公園内の建物復元基壇が、往時の伽藍を忍ばせている。
近鉄吉野線飛鳥駅からバスで川原下車、徒歩1分。



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