風間寺(かざまじ)は、堺市にある日蓮宗の寺院である。
本尊は、久遠の釈迦牟尼仏が祀られている。
慶長20年(1615)の大坂夏の陣で、約2万戸といわれた堺の町は全焼した。
当時の堺奉行長谷川藤広は、地割奉行の風間六右衛門(1572-1618)に命じて、碁盤目の町割りを実施して復興した。
これは、元和の町割りと呼ばれている。
しかし、日蓮宗の熱心な信者だった風間六右衛門は実直な人柄で、寺の地割の際に、日蓮宗の寺に広い土地を与えたとされ、堺の一部の人たちから反感を買うことになった。
これがもとで、徳川幕府は元和4年(1618)、風間に江戸に来るように命じた。
責任を感じた六右衛門は、堺のため、また日蓮宗のために、一身をささげる覚悟を決め、同年8月15日に、江戸に行くと言い残して、堺を出たこの地で自刃した。(行年47歳)
後に町の人々は、六右衛門の死を悼み、自刃の地にお堂を建て風間堂と称して供養した。
昭和40年(1695)に風間寺と改められた。現在の風間堂は六右衛門の四百遠忌を記念して、平成22年(2010)に新たに復興したものである。
風間六右衛門が地割をする際に、枕元に龍神があらわれ、お告げを受けたと伝わる。
そのため、風間六右衛門を「真恍浄攝瑞法(しんこうじょうしょうずいほう)龍神」として祀っている。
南海電鉄南海線七道駅下車、徒歩10分。