慶雲寺

永祐山 慶雲寺は、兵庫県姫路市にある臨済宗妙心寺派の寺院である。
もと天台宗寺院であったが、後に禅宗となったと伝えられている。
慶長年間(1596-1615)姫路城主 池田輝政の帰依を受け、姫路城築城の余材を以て本堂が建立され、寺域が決定された。
輝政より寺領、鎮守領として「六十六石余」が黒印地として寄進された。
その後、徳川家光より同石高の御朱印地が寺領として寄進され、明治時代に至るまでその寺領は徳川幕府によって安堵されていた。
観音堂本尊 如意輪観音座像は、輝政の継室 督姫(家康の次女)の念持仏と伝えられている。
境内には、末寺 久昌庵にあったお夏清十郎の塚「比翼塚」が、昭和26年(1951)に移設されている。
寺宝として、絹本著色宗夢童子像、紙本墨画「大応・大燈・関山」像等を有している。

お夏 清十郎比翼塚
寛文元年(1661)ころ、姫路の旅宿但馬屋の手代 清十郎が主家の娘 お夏と密通し、大坂へ駆け落ちしたが捕らえられて処刑され、残されたお夏は乱心したという。
当地の案内板によると、但馬屋は二人の純愛に打たれ「比翼塚」を作ってその霊を慰めたといわれる。
この実在の事件は、俗謡「清十郎ぶし」をはじめ、俳諧、歌祭文(うたざいもん)、小説、浄瑠璃、歌舞伎などの題材となった。
代表的なものは、小説で井原西鶴作「好色五人女」(1686)中の「姿姫路清十郎物語」、浄瑠璃で近松門左衛門の「おなつ清十郎笠物狂(かさものぐるい)」(1705)、「五十年忌歌念仏」(1707)、近松半二、三好松洛らの「極彩色娘扇」(1760)などである。
明治以降では、坪内逍遥作の舞踊劇「お夏狂乱」が有名で、戯曲にも真山青果作「お夏清十郎」をはじめ多くの作品がある。
比翼塚の横の案内板には、下記の御製も紹介されている。
御製 御水尾天皇  清十郎 きけ 夏が来たりと 杜宇(ほととぎす)
    後西天皇   笠がよう似た ありあけの月

兵庫県たつの市室津の浄運寺には、お夏の木像が安置されている。




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