紀伊国分寺跡

紀伊国分寺跡は、和歌山県紀の川市東国分にある国史跡である。
紀伊国分僧寺の跡地で、僧寺は紀の川北岸の段丘上に創建された。
東西、南北二町(約220m)四方の寺域で、そのうち西側4分の3地区が伽藍区域となっている。
天平13年(741)聖武天皇による国分寺建立の詔が出され、天平勝宝8年(756)頃には、金堂、塔などの主要伽藍が完成していたとみられている。
東側の塔跡を見ると、塔の基礎にあたる「基壇」が残され、一辺が16mの正方形をしており、高さが1.2mある。
土や砂を突き固めて重ねていく「版築」(はんちく)技法で築かれ、周囲に平瓦を積み上げた「瓦積基壇」と呼ばれるものである。
塔の中心には、塔の芯柱を据えた大きな礎石があり、その周囲に16個の礎石が残されている。
塔は、礎石の配置から見ると、初層部分の柱間が9.3mで、高さ50mの七重塔であったと推定されている。
講堂跡の上に建つ本堂は、元禄13年(1700)に再建されたもので、国分寺医王院として江戸時代から存続している。
現在は、全体が史跡紀伊国分寺跡歴史公園となっており、南には紀の川市歴史民俗資料館、北東には日吉(ひえ)神社がある。
JR和歌山線下井阪駅下車、徒歩10分。公園北東部に駐車場がある。



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